素因減額 裁判例集
素因減額
素因とは、一般的に、被害者の精神的傾向としての「心因的素因」と、既往症や身体的な特徴などの「体質的・身体的素因」があるとされています。
交通事故によって生じた損害は、当事者の責任に応じて、公平に分担すべきという考え方のため、心因的素因や体質的素因によって、通常予見できる程度以上の損害が被害者に発生した場合には、発生した損害額全額を加害者に負担させるのは公平ではないと考えられ、素因の部分については、被害者もその損害額を負担させられるということになります。
最高裁判所平成8年10月29日判決
被害者は、乗用車運転中に追突され、胸郭出口症候群、バレリュー症候群等から併合8級後遺障害を残した事案で、首が長く、多少の頸椎不安定症が存在していたという体質的素因を身体的素因とした1、2審は、4割の素因減額を適用したが、最高裁は通常の体質と異なる特徴を有していても、賠償額を定めるに当たり斟酌することはできないとした。
判例抜粋:
上告人は、平均的体格に比して首が長く多少の頸椎の不安定症があるという身体的特徴を有していたところ、この身体的特徴に本件事故による損傷が加わって、左胸郭出口症候群の疾患やバレリュー症候群を生じた。バレリュー症候群については、少なくとも同身体的特徴が同疾患に起因する症状を悪化ないし拡大させた。また、頭頸部外傷症候群による前記眼症状についても、上告人の右身体的特徴がその症状の拡大に寄与している。
被害者が平均的な体格ないし通常の体質と異なる身体的特徴を有していたとしても、それが疾患に当たらない場合には、特段の事情の存しない限り、被害者の右身体的特徴を損害賠償の額を定めるに当たり斟酌することはできないと解すべきである。
けだし、人の体格ないし体質は、すべての人が均一同質なものということはできないものであり、極端な肥満など通常人の平均値から著しくかけ離れた身体的特徴を有する者が、転倒などにより重大な傷害を被りかねないことから日常生活において通常人に比べてより慎重な行動をとることが求められるような場合は格別、その程度に至らない身体的特徴は、個々人の個体差の範囲として当然にその存在が予定されているものというべきだからである。
これを本件についてみるに、上告人の身体的特徴は首が長くこれに伴う多少の頸椎不安定症があるということであり、これが疾患に当たらないことはもちろん、このような身体的特徴を有する者が一般的に負傷しやすいものとして慎重な行動を要請されているといった事情は認められないから、前記特段の事情が存するということはできず、右身体的特徴と本件事故による加害行為とが競合して上告人の右傷害が発生し、又は右身体的特徴が被害者の損害の拡大に寄与していたとしても、これを損害賠償の額を定めるに当たり斟酌するのは相当でない。
最高裁判所平成8年10月29日判決
63歳男子タクシー運転手が追突され、他覚的所見の乏しい14級神経障害を残したが、事故直後から頸椎後縦靱帯骨化症が判明、これによる治療の長期化、後遺障害の出現が明白とされたが、事故前は通常の社会生活を営んでいたことなどから、損害が拡大したとしても「あるがまま」に賠償すべきとした1、2審判決を最高裁が覆し、疾患の影響が明白であれば「斟酌すべきものでないということはできない」とした。
判決文抜粋:
被害者に対する加害行為と加害行為前から存在した被害者の疾患とが共に原因となって損害が発生した場合において、当該疾患の態様、程度などに照らし、加害者に損害の全部を賠償させるのが公平を失するときは、裁判所は、損害賠償の額を定めるに当たり、民法722条2項の規定を類推適用して、被害者の疾患を斟酌することができることは、当裁判所の判例(最高裁昭和63年オ第 1094号 平成4年6月25日第一小法廷判決・民集46巻4号400頁)とするところである。
そしてこのことは、加害行為前に疾患に伴う症状が発現していたかどうか、疾患が難病であるかどうか、疾患に罹患するにつき被害者の責めに帰すべき事由があるかどうか、加害行為により被害者が被った衝撃の強弱、損害拡大の素因を有しながら社会生活を営んでいる者の多寡等の事情によって左右されるものではないというべきである。
前記の事実関係によれば、被上告人の本件疾患は頸椎後縦靭帯骨化症であるが、本件において被上告人の罹患していた疾患が被上告人の治療の長期化や後遺障害の程度に大きく寄与していることが明白であるというのであるから、たとい本件交通事故前に右疾患に伴う症状が発現しておらず、右疾患が難病であり、右疾患に罹患するにつき被上告人の責めに帰すべき事由がなく、本件交通事故により被上告人が被った衝撃の程度が強く、損害拡大の素因を有しながら社会生活を営んでいる者が多いとしても、これらの事実により直ちに上告人らに損害の全部を賠償させるのが公平を失するときに当たらないとはいえず、損害の額を定めるに当たり右疾患を斟酌すべきものでないということはできない。
右と異なる原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、その違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、原判決は上告人ら敗訴の部分につき破棄を免れない。そして、本件については、上告人らに損害の全部を賠償させることが公平を失するかどうか及び損害額全般について更に審理を尽くさせる必要があるから、右破棄部分につきこれを原審に差し戻すのが相当である。